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私は檻のない監獄暮らし

 何年か前に若者のワーキングプアに関する本を読みました。その著者は低所得でなかなか実家を出られない若者のことを「檻のない監獄暮らし」という言葉を使っていました。実に感銘を受けた言葉です。私は度々母親と衝突しますが、その度に「そんなに嫌ならこのうち出てけ!」言われます。しかし、出て行きたくても出られません。健常者で継続就労出来ていればとっくに出てっています。「気に入らなければ、すぐこのうち出てけ!」という親に対して腹を立てていたところ、この言葉を見つけ実にいい表現を使うなぁ、この著者は、と思いました。

 とくに母親はやたらと自分の考えを押し付けすぎます。昔、ちょっと髪を明るくしただけで、「直ちに美容院に行って黒く染め来い! そんな頭ではこのうちに入れん!」と母親に怒鳴られた。また、会社で色々辛い思いをして辞めたばっかりで落ち込んでいる時に「直ちに職安に行って仕事を見つけて来い! 働かんような者はこのうちに入れん!」と怒鳴られた。退職した次の日に言われたものです。まだ会社での苦しみや傷が癒えてもいないうちから「仕事! 仕事!」と言われてばかりいました。その当時は「発達障害」という言葉は日本にはなかったので、障害者枠で働くという選択肢がなかった。歩けないのに無理矢理「歩け!」とどやされるようなものでした。

 現在はすでにきちんとした診断が下りたので堂々と障害者枠で働けるのですが、近隣には障害者向きの仕事はそうありません。あっても健常者と変わらない販売などのきつい仕事しかありません。障害者雇用の事務やA型事業所は自転車通勤許容範囲の地域にはありません。ペーパードライバーなので自動車通勤が出来ません。それに障害者雇用の給料では自動車購入したり維持費を払ったりすることは不可能です。興味のあるB型事業所をつい最近見つけたがそこも自転車通勤では遠すぎる地域にあります。そのB型事業所は送迎サービスがない。工賃は通常のB型事業所より高く4,5万から10万の範囲。業務内容は、パソコンでチラシ作りをしたり動画の編集をしたしするなどとにかくやってみたい仕事。でも自分で通えないので何ともなりません。更に悪い事には公共交通機関が利用困難な地域に住んでいる。近隣にバス停も駅もありません。

 そういう不満を母親に言うと「駅やバス停の傍に引っ越せば」と言われる。しかし、私は仕事と家事(炊事、洗濯、掃除、布団干し、昼食作りなどの自分の身の回りの世話)の両立ができないのでそうもいきません。自分の身の回りのことをこなしながら毎日決まった時間にどこかに行く自信がありません。仕事するなら仕事だけ、家事をするなら家事しか出来ません。これは甘えでしょうか? 仕事と家事。両方をこなせるくらいの能力、スタミナ、気力があるならどこかの会社で継続就労しているでしょう。

 私は両親が好きで両親と同居しているのではありません。家を出たくてもまともに働けず生活出来ないから同居している。よく母親に「いつでも出て行っていいよ」と言われるが仕送りしてくれる訳ではないので出て行けません。髪の色や化粧の濃さ、行動の制限等を受けても両親と同居するしかありません。私はこれからも檻のない監獄で暮らしていかなければなりません。